愛おしさという哲学。

愛おしさで動いている、と気づいた話

写真と文章の時間が好きだった理由

僕は写真を撮ることが好きです。文章を書くことも好きです。
ジャーナリングをしたり、ブログを書いたり、自分の考えを言葉にしたり。そういう時間が昔から落ち着きます。 以前の僕は、それを「リラックスできるから」って理解していました。
確かに落ち着く。気持ちが整う。だから続けてた。 でも最近、そこにもう一段深い理由がある気がしてきて。
たぶん僕は、あの時間に「愛おしさ」を感じていたんです。 落ち着くのも本当なんですけど、もっと近いのは「満ちる」です。
自分の中の静かな場所が、じわっと温まる感じ。うまく言えないけど、そういう感覚でした。

「これこれ」って、肺のあたりが温かくなった

「愛おしさ」という言葉が、最初に刺さった瞬間があります。
富士フイルムのブランドコンセプトを知ったときでした。
「愛おしさという哲学。」っていうコンセプトムービーを見た瞬間、僕は心の中で勝手に言ってました。 「……これなんだよ。これこれ。」 大げさじゃなくて、本当に。
肺のあたりがふっと温かくなる感じがして、妙に納得したんです。 言葉が上手いとか、映像が美しいとか、そういう話だけじゃなくて。
「あ、これって、僕がずっと探してた言い方かもしれない」っていう感覚に近かったです。

「好きな人を見る顔してますよね」と言われた日

もうひとつ、忘れられない出来事があります。 会社の同僚の写真を編集していたとき、後輩に言われたんです。 「写真編集してる時、好きな人を見るような顔してますよね」 自覚はまったくなかったんですけど、たぶん本当なんでしょうね。
自分でもちょっと笑ってしまいました。 でも、その一言で腑に落ちたことがありました。 僕はその一枚と向き合いながら、
撮影のときの空気とか、そこで起きた会話とか、その人の表情の背景とか。 あと、「これから一緒に働く時間」へのワクワク感とか。
そういうものを、勝手に抱えていたんだと思います。 「ちゃんと素敵に仕上げたい」って気持ちも、たぶんそこに混ざってました。だから集中する、というより、見つめるに近かったのかもしれません。 そのときまた「愛おしさ」という言葉が、すっとハマったんです。
ああ、これだな、って。

愛おしさは、「楽しい」でも「好き」でもない

思い返すと、僕は昔から何度もこの感覚を経験していました。 体調を崩して会社を休んで、しばらくカフェでジャーナリングしていたとき。
家族でディズニーランドへ行って、ただ楽しいだけじゃなくて、胸がいっぱいになったとき。
子どもがご飯を美味しそうに食べているのを、ぼーっと眺めているとき。
犬がいつものソファーで、安心しきって眠っているとき。 胸のあたりがきゅーっとなって、涙ぐむ。
なのに、表情は笑ってる。自分でも不思議です。 これって「楽しい」とも違うし、「好き」とも違う。
もっと静かで、もっと柔らかくて、でも確かな重みがある。 たぶん、「大事にしたい」って気持ちが勝手に湧いてくる状態 なんだと思います。
守りたいとか、残したいとか、壊したくないとか。そういう方向に心が自然に傾く。 僕はこの愛おしさに包まれている瞬間が、いちばん幸せなんだと思います。
生きる活力って、たぶんこういうところから湧くんだろうな、と。

人事の仕事で感じていたもの

人事になったときも、似たものがありました。
自分が関わった人が、少し元気になって働いている。
その姿を見たとき、胸の奥が満ちるような感覚があったんです。 お金を稼ぐとか、偉くなるとか、評価されるとか。
そういう軸を否定したいわけじゃないです。大事ですし、向き合うべき現実もあります。 でも僕は、そこだけで動いていない。もっと別の場所にエンジンがある。 「目の前の出来事を愛おしく感じる」
それが僕にとっての充実感につながっていたのかもしれません。 30代半ばですけど、今の時点では、そこを生きがいだと言ってしまっていい気がしています。少なくとも、今は。

愛おしさがあると、やたら強い。ないと、驚くほど動けない

これは自分でも極端だなと思うところなんですが、
僕は「愛おしさ」があると、わりと何でもできるんです。勝手に動ける。 逆に、愛おしさを感じない相手や場に対しては、急に無関心になります。
なるべく距離を取りたくなる。これが本当に分かりやすいくらい。 だから友達も多くないし、不特定多数の交流もあまり好きじゃない。
「会社のために頑張る」みたいなことも、正直心は燃えにくい。 これを性格の問題にしてしまうと、ちょっと苦しくなるときがあるんですけど、最近は「燃料が違うだけかもしれない」と思うようになりました。 僕は、愛おしさで動く。 だから、愛おしさを感じられないものに無理に自分を当てはめようとすると、どこかで息切れする。
そう考えると、妙に納得するんです。

これからの僕は、愛おしさに正直でいたい

これからの僕に必要なのは、「何にでも愛おしさを持つこと」ではないと思っています。そんなの無理だし、きっと疲れます。 たぶん必要なのは、もっとシンプルで。
自分が向き合いたいものをちゃんと選んで、そこにいる自分を見失わないこと。
愛おしさが生まれる瞬間を、雑に扱わないこと。 写真を撮っているとき。
言葉を書いているとき。
家族や犬を眺めているとき。
誰かが少し元気になっているのを見たとき。 そういう瞬間を、ちゃんと「愛おしい」と思える自分でいたいです。
それが、僕の生き方の中心にある気がするので。 うまくまとめると急に嘘っぽくなるので、このくらいで終わります。 ただ、最近の僕は、そんなふうに思っています。

出典元:https://note.com/taku_kami_1991/n/n3b2dd5827dfe

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かみくぼたくみ

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IT企業で人事領域に携わりながら、日々の気づきや家族との時間をnoteで発信。
富士フイルムのカメラで、家族との時間や日々の中で見たものを、そのまま撮っています。

富士フイルム使用歴:
1年
富士フイルム愛機:
X-T5、X-E5
好きなフィルムシミュレーション:
クラシッククローム
あなたにとって愛おしさとは?:
「楽しい」や「好き」よりも、もう少し静かで柔らかい感覚です。肺のあたりが少しきゅっとして、守りたい、残したい、壊したくないという気持ちが湧いてくる。僕にとっての愛おしさは、そういう感覚なのだと思います。

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