愛おしさという哲学。

富士フイルムが育ててくれた大切なもの

富士フイルムのカメラといえば─、 洗練されたデザイン。
ユーザー視点での設計。
操作感。
所有欲。
そして、出てくる画。 語り尽くせない魅力の数々が確かにそこにある。 しかし、一方で、 これらのカメラは、「機材」という括りを超えて、いつしか心や感情、情操をも育ててくれていたようだ。
なにも、劇的な景色や、誰もが振り返るような一枚を求めていたわけでもない。 仕事の行き帰り、休みの日の一コマ。 いつからか、目の前にある日々を、できるだけ丁寧に残したいと思えるようになってきた。 何気ない光や、ふとした余韻、誰かのさりげない仕草や2度と出会えない面白い瞬間─。 そういう景色ほど、気づかないうちにこぼれてしまうから。
シャッターを切るたびに気づく。 写真は、目に見えるものだけを写すのではなく、そのとき自分が感じていた空気や感情までも、そっとすくい上げてくれるということに。 光のやわらかさや、風の温度、そこに流れていた静けさや空気感まで。 言葉にできない感覚が、一枚一枚の中に残っていく。
私の写真における「信念」みたいなものも、富士フイルムが育ててくれたと思う。 写真は、思い出を残すためだけのものではなく、
「撮ることそのものが楽しい」ということ。 同じ道でも、光の入り方でまったく違う表情を見せる。 少し立ち止まって角度を変えるだけで、世界は驚くほど豊かになる。 今まで見過ごしていた日常が、まるで新しい場所のように感じられる瞬間がある。
富士フイルムの色味にはだれもが魅了され、その魅力こそが最大の長所でもあるのだろう。 ただ、「色味がいい」という言葉の表現には、若干のチープさを感じてしまう。
安い表現では言い表せない「何か」─。
それは、不思議と「記憶」に近い。 鮮やかすぎず、けれど確かにそこにあった温度や湿度、時には香りをも含んでいて、ただの「再現」では終わらない。 まるで、心で受け取ったままの世界を、そっと差し出してくれるようなやさしさがある。 だからこそ、写真を見るというよりも、その瞬間にもう一度触れているような感覚になるんだろうな。
うまく撮れた日もあれば、思うようにいかなかった日もある。 それでも、残してきた一枚一枚は、どれも確かにそのときの自分が見ていた世界であり、生きてきた時間だった。 写真は、過去を閉じ込めるためのものではなく、過ぎていった時間や感情を、未来の自分へやさしく手渡すもの─。 そんなことを考えるようになれたのは、富士フイルムと歩んだ日々があるからだ。 きっとこれからもいろんな景色に出会っていくと思う。
初めて富士フイルムを手にして今日で丸2年。 その時の、その瞬間の写真は、 “富士フイルムがいい” じゃなくて “富士フイルムじゃなきゃダメ” なんだ。
ではまた。

出典元:https://note.com/madomado_/n/nd454055f702b

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Kuh−くぅ−

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1987年生まれ、二児の父。神奈川を拠点に、のんびり写真を楽しんでいます。最近はモノクロ写真にどっぷりハマり、新たな表現に試行錯誤する毎日。何気ない日常の中にあるちょっと特別な瞬間を探してシャッターを切っています。

富士フイルム使用歴:
2年
富士フイルム愛機:
X-T5、X-E4、X-T3
好きなフィルムシミュレーション:
クラシッククローム、クラシックネガ、ACROS+Rフィルター
あなたにとって愛おしさとは?:
目に見えるものだけが全てではない。「心」で感じる世界観。「記録」から「記憶」へ─。それこそが愛おしさだと思う。

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