『おとうと』前田エマ vol.1
私の人生にはふたつある。
“弟がいる人生”と“弟がいなかったかもしれない人生”だ。
私は、かなり薄情な人間らしい。
自分でも「そうかもなあ」とちょっと思う。
昨晩リビングで、弟とだらだらしていたら、
こんなことを言われた。
「エマちゃんってさ、悪意なく人を裏切るタイプだよね。
相手をおとしいれようとか、そういう頭使ってやるんじゃなくて、
助かった!と喜んだのと同時に、いつの間にか友達を裏切っている感じ」
確かに私は、自他ともに認める自己中心的な人間だと思う。
他人のことは、はっきり言ってどうでもいい。自分がとにかく大切だ。
でもおそらく、例えば今、私と弟が川に溺れているとして、
私の命を差出して、弟が助かるならば、
自ら進んで潔く、私は命を捨てると思う。
(そのときになってみないと分からないけれど)
理由は単純明快で、弟を殺してしまった後悔に、
さいなまれて生きていくことに、私は耐えられそうにないからだ。
7歳離れた弟がまだお腹の中にいたころ、
だいぶ大きくなったお腹を手でさすりながら母は私にこう訊ねたそうだ。
「ママのお腹の中には、なにが入っていると思う?」
「う〜ん……スイカ?」
私は、もう小学生になっていた。
また別の日、母は私にこんな質問をしたらしい。
「ねえ、妹とか弟とかほしい?」
「え〜、いらない」
だから母は、私が“おねえちゃん”になることに対して
結構心配していたらしい。
いまだに九九が言えず漢字が苦手な私と違って、
弟は賢い男の子だった。
小学校に上がる前に、ひらがなもカタカナも簡単な漢字も読み書きでき、
絵も上手で、いろんな賞をもらっていたし、
『ネコの戦争』という戦争批判を含んだ
絵本のような小説のようなもの(100ページくらいある)を書いていた。
静かな性格で、運動もできて、目がクリクリで、
周りのお母様方には「ジャニーズに入れるよ!」
と言われるような子だった。
私は仕事が忙しい両親に代わって、
保育園のお迎え、小学校の授業参観に行ったりもした。
小学校高学年になると、弟はガキ大将のような感じになり、
ジャニーズ感はどんどん薄れていき、
問題を起こして学校から呼び出されることもあった。
私が引き取りに行ったことも何度かあって、
そのたびに弟の哲学(という名の言い訳)を聞かされるのだが、
そのどれもがユニークで、ものすごく楽しかった。
弟が男友達と一緒にいるのを観察するのも面白くって
「あ〜、男子が馬鹿な理由が分かってくるなあ」と思ったりした。
中学生になると、どんどん足がクサくなって、
弟の部屋からは野生の動物みたいなニオイがして、
ヒトという動物の成長を肌で感じた。
私とそこまで精神年齢が変わらない弟に、
私が唯一できることは、
今までに読んだ本を教えてあげることくらいだったので、
旅や狩猟、登山に関するエッセイ本をいくつか渡した。
すると弟は、自転車で日本一周を試みたり(福岡まで行っていた)
北海道へ一人旅をしたりするようになった。
高校生になると、弟は学校を辞めてしまい、
ラップを始めたかと思えば、メキシコへ1年行ってしまった。
弟は普段、一人暮らしをしているのだが、
年末から春にかけて、仕事の都合で私と一緒に生活している。
脱いだものは散らかしっぱなし、家事もあまりしてくれない。
全部を私がやるのはいいのだけれど、
態度のデカさにさすがにイライラしてくると、私は怒鳴る。
それでもやっぱり、一緒にくだらない動画を見たり、
音楽をかけながら大声で歌ったり、
帰りが遅くなった私を迎えに来てくれ、夜道を散歩したりしていると、
弟がいる人生があって、よかったなあって思う。
同じ遺伝子なのに、こんなにも違う人間を、
隣にいても、離れていても、想うことができる心が、
こんな私にもあったんだ、という驚きをいつも。