「織りなす詩を綴る日々」by 武居詩織 vol.2 〜動き出す季節〜
夏は一気に駆け上がり、シャッターを押す手が間に合わないくらいのめまぐるしい日々が始まる。
「X-E3」を手にした事により、今年はもっと外に出て行こうと決意した。
こうやって“撮る”という衝動に次第に操られていくのではないだろうか。
カメラを持っていた人だったものが、もうカメラそのものになっていく。
呼吸する様に、生きる様に撮る人達を知っている。
自分の中でも何かを探す旅が始まった様に感じる。
一瞬一瞬の積み重ねの日々が、とてもかけがえのないものだと再認識させられて、受動的になっていては想像通りのものしか出会えない気がしてきたのだ。
気付いた時には、それこそ今しかない瞬間を見逃しているかもしれないから。
ここ10年くらい見ていなかったような虹を
今月は2回も見た。
一歩踏み出してみると
夏は彼方此方で巣を張り手招きをしている。
角ばった氷が暑さで溶けて丸くなり、案外快く受け入れてくれる。
光に溶かされて夜に混じってゆく
燃え盛った後に静かに揺らぐ炎
爆ける火花はまるで犇めく宇宙の星々
夏を象徴するようだけれど
それぞれ違ってまた面白い。
たくさんのぶれた写真と
半分くらい残った花火が楽しさを物語っていた。
勇気を出して得たものは大きい。
日々を楽しむのは自分自身だ。
日陰を探して歩く日も、強い日差しはまさに身を焦がすように火照らせる。
熱気に揺らぐのは街並だけではない。
何もないようでそこに確かにあるものがある。
暑さには参ってしまうけれど、
夏には日々の端々をキラキラと煌かせ、その一粒一粒を宝石のようにする魔法があると思う。
勿論、特別なものはより特別になる。
夏と写真にはなんだか共通点があるような気がした。
それがより特別になるのか
はたまた美しき隠蔽なのか
真実がどうであれ
大切なのは自分なりの答えだ。
真夏の蜃気楼に惑わされた後にそれが実は本物だったと気づかされるような
夢を見た後に夢じゃなかったと気付かされるような
ほんの少しだけ汚れた横縞のTシャツがなんだかとても印象的で、擦りむいた背中に気付いて恥ずかしくなった。
未来はわからないからたまに不安にもさせるし
今はあっという間にすぐ過去になるけれど
今は確かに存在する
過去になってもその時それは確かにあったのだ
その事実だけで素晴らしいものではないだろうか。
いつだって日々は本物だ
その一瞬を大切にしたい。
心に留めておきたい綺麗なものに
今月はたくさん出会った気がする。
宝物はきちんと宝箱にしまっておきたい
氷はいつか溶けてしまうけれど
夏が過ぎても解けない魔法がいい。
廊下にひっくり返った蝉を見つけた時に
今年もついにこの季節が来たかと思ったけれど
次に通ったら起き上がっていて
もしかしたら死んでいたのかもしれないが
その姿に強さを感じた。
ビルの隙間から微かに見えた花火も
夜景も月も
豪雨の後の綺麗な空も
音に浸る日々も
撮っているとどうしても写しきれないものがたくさんあって
少し悔しくなるけれど
だからこそ、いいのだ
だからこそ、また楽しい
全てが見えたらきっと目で見る良さがなくなってしまうから。
私が写真を好きなところは余白があるからだ。
音も空気も動いてもいないけれど、想像させられるようなその余白が、
控えめなのに大胆で一瞬で心を奪う力を秘めていて、なんだか心を擽るのだ。