『友情』前田エマ vol.5
※ソーシャルディスタンスを保ち、安全に十分に配慮したうえで行動・撮影を行っております
私の日々のすぐ隣にあることを、写真とともに綴ってきたこの連載も、今回で最終回となりました。
旅をすること、人と出会うこと。私の日々は、そのふたつがあるからこそまわっていました。
『X-A7』で写真を撮る連載をしませんか?と最初に声をかけていただいたとき、私の心は浮き足立ちました。
「写真を撮ることを理由にして、あの人に会いに行きたいな」「あんな場所に旅をして、こんなことを書きたいな」
しかし連載がスタートした昨年の4月は、想像もしなかったような世界の始まりでもありました。
私は周りから呆れられるほどの根明なので、あまり落ち込んだりしない性格です。そんな私でも、さすがに苛立ったり残念な気持ちになった時もありました。X-A7と共に過ごしたこの日々を、いつか私はやっぱり忘れてしまうでしょう。こんなに大変なことが起こっても、前に進むために見た景色や感情のカケラのことについては少しづつ忘れてしまうのでしょう。それでもいつか写真を見返したときに、遠くへ行かずとも、誰かに会えずとも、撮ることと書くことで心が救われ、どこかへ旅へ出ていた時間があったことを、思い出すのではないかと思います。
今回はこの原稿の締め切りの前日に、一緒に散歩した友人との数時間をここに載せます。冬なのに春のはじまりのような、穏やかなやわらかい陽のひかりが、身体を包んだ日のことです。
女の友情が苦手だ。
私はどちらかと言えば友人が多いほうだと思うし、女友達は特に多い。彼女たちと一緒にごはんを食べたり、おしゃべりしたり、笑いあったりしたあとの帰り道は、シュワシュワしている頭のままで柔らかいソファに身体が深く沈んでいくような、ふわふわした気持ちになるのだが、手放しで”女の友情っていいよね”と私にはまだ言えない。その言葉を口にしようとすると、心の中に靄がかかってしまう。友情に性別は関係ないのに、そんなふうに思う自分のことを不思議に感じることもある。
私は幼い頃から男の友情にとても憧れていた。いちばん最初の記憶は小学生の頃、教室の窓から見えた風景だ。クラスの男子が無邪気にじゃれるようにして校庭で遊ぶ姿を羨ましく思った。7つ歳の離れた弟が友人と遊んでいるのを横目で見ると、今もまだそのときのと似たような匂いがする。いいなあと思う。
私は男の友情には、一緒にいるだけでひとつ空気が生まれるような、言葉を交わさずともお互いを愛おしく思い合うような、意味よりもくだらなさを大切にするような、そういう関係性が女の友情よりも漂う気がして、悔しい。
女の友情は、今の私にとっては人生への考え方やプライド、自意識がいちばん最初にきてしまうような感覚がある。それは面白いものではあるのだけれど、なんだか胡散臭い気持ちになってしまう時もある。
そんな私だけれど、大人になってからの方がいままでよりも女の友情が少したのしいと最近は感じる。私にとっての友情とは尊敬とほぼ同じ意味だ。そして私にとっての仕事とはその人の生き様そのものだ。生き様を尊敬できる人と過ごすこと、その人のことを想う時間があることが、私の人生のうれしさなのかもしれない。
こんな私にもいつか”女の友情っていいよね”と思える日がくるのだろうか。それはそれでなんだかなあと思うのだけれど、28歳の今のところはこんな感じだ。
※記事内に登場する人物には掲載許可を取っています
また、登場する写真の一部(*)は布を被せて撮影しています