『走る』前田エマ vol.3
近頃、私はほぼ毎日走っている。家の前の河川敷をひたすらまっすぐ走っている。
きっかけは、母だった。“今年は走る”と誓いを立て、道具を一式揃え、彼女は週末に走りはじめた。はりきって購入したウェアも靴もすぐに使わなくなるだろうし無駄な買い物だなあと横目に見ていたのだが、予想に反して続いていた。そんな矢先、世界のいろいろなことがCOVID-19によって変わりはじめ、私の生活は変化していった。運動不足を解消する為、母を真似して私も走りはじめた。
中学時代、私はテニス部に入っていた。当時放送されていたテレビドラマに影響されたのと、ユニフォームが可愛いからという単純な理由だ。私の学年は全部で7人女子部員がいた。最後の団体試合には私だけが選ばれなくて、チームメイトたちが申し訳なさそうに謝ってきたのだけれど、そんなことはどうでもいいほど私にはテニスに対してのモチベーションがなかった。テレビでやっているプロのテニスの試合だって、いまだに一度も見たことがない。
なぜか駅伝部にも入った。私の通っていた中学は小さな学校だったので、年に一度の市の駅伝大会の一ヶ月前になると、足の速い生徒に召集がかけられて、即席駅伝部が結成された。同じテニス部のチームメイトが推薦され「ひとりじゃ嫌だ……エマちゃんも一緒ならば」と言うので、入部することになった。一ヶ月間の早朝練習、放課後練習、土日祝日の土手での試走への参加を余儀なくされた。
私は小さな頃から喘息を持っていて、小学生の頃は入院もした。なので、校庭を一周走るだけで苦しくなってしまう。周りの部員たちも、なんでこいつが駅伝部なんだ?と思っていたに違いない。
目標タイムが設定され、ひたすら走り込む日々が始まった。雨の日は校舎の階段をドドドドっと上り降りする。最初の頃はまったく歯が立たなかったけれど、こんな私でも少しずつ体力がついてきて、タイムも縮んでいった。運動が苦手で体力もない私が生まれてはじめて“がんばった分だけ結果がついてくる”と実感できたものが長距離走だった。
私は選手になんてもちろん選ばれないのでチームワークなんてものは関係ないし、タスキの受け渡しの練習をする必要もない。誰と競うでもなく、昨日の自分を越えていく快感だけを、ただひたすら楽しんでいた。駅伝部の練習がある時期は、テニス部には出席しなくていいので「ずっと駅伝部でいいのになあ〜。ここなら後輩からの “エマ先輩とペア組みたくないよねえ”なんて陰口に対して申し訳ない気持ちにならなくていいし、私は球拾いがいちばん楽しいのに“エマちゃんもラリーの練習しようよ!”なんて先輩に気をつかわれなくて済むのになあ」と思っていた。喘息はいつの間にか完治していて、私は翌年も自ら進んで駅伝部へ入った。
私は地道に努力するのが苦手だ。それなのにここ最近のランニングは、どうしてだか続いている。それはおそらく目標やモチベーションがなくて、ただ楽しいからだと思う。最近はラジオを聞きながら走ることが多く“この番組が終わるまで走ろうかな” “昨夜のあの番組が聞きたいから、いますぐ走りたいな”と、ラジオを聴くため走っているような感じがする。ケチな私にとってランニングはタダなところもいい。はじめるのにもお金がかからないし、私はウェアやシューズを買って結局続かなかったら怖いので、いまだに冬の寝巻き用のスウェットパンツとパーカを着て走っている。靴もただのスニーカーだ。さすがに最近は暑いし、そろそろ買い足してもいいかなと思っているけれど、きちんとしたら逆にやめてしまいそうで、なかなか財布の紐が緩まない。
生理中など体調が優れないときは、ただひたすら歩くだけだし(でも途中でなぜか走り出したくなる時もある)雨が降ったら走らない(びしょ濡れになることが気持ち良くて走るときもある)。
桜の花びらがスノードームの雪のように宙に舞っていた春を通り過ぎ、菜の花の黄色い絨毯を駆け抜け、青々としげる草が信じられなくらいの早さで伸び、私の足をちくちくと撫ではじめた頃、自治体から派遣された除草車がやってきて、その絶妙なタイミングに感動した。天気や季節、体調といった、地球や人間にとっての当たり前を身体をつかって実感しながら、ラジオから流れてくる世界や日本の情勢を、少し遠いところの話のように、いままで以上に興味を持って聴いている。
※ソーシャルディスタンスを保ち、安全に十分に配慮したうえで行動・撮影を行っております