家族写真と『X100S』~キートン・福永 vol.1~

はじめまして、キートン・福永です。
ある日、X(旧Twitter)を眺めていると、富士フイルムの新しいコンセプトムービーが目に留まった。『愛おしさという哲学。』――Xシリーズの世界観を広げる新しいブランドタグラインが掲げられていた。素敵なフレーズだなと思い、それ以降、Xシリーズで撮影した写真を投稿する際には、自然とそのハッシュタグを付けるようになっていた。
今回コラム執筆の依頼をいただいた際、「どうして私にお声がけを?」と尋ねると、「早い段階からタグラインに共感いただいていたので、お話を伺いたいと思いました」と返ってきた。「ポッドキャストでも、写真やカメラについて話されていますよね?」――そのひと言が後押しとなり、正式にお引き受けすることにした。
FUJIFILM『X100S』との出会い
20代前半、写真関係の仕事に就いていた時期がある。プライベートでもカメラを手放さず、四六時中写真のことを考えていた、まさに“写真生活”だった。
けれど、その仕事を離れてからは自然とカメラを手に取る機会が減っていった。
仕事や暮らしが落ち着き、心にも余裕が生まれてきた頃、また写真を撮りたいと思うようになった。手元には以前のカメラがいくつか眠っていたけれど、心機一転、新しい道具で始めたくなった。
そんな時に出会ったのが、富士フイルムの『X100S』だった。
クラシックな外観、ファインダーを覗く楽しさ、控えめなシャッター音、そしてレンズの持つ柔らかい描写。他にはない魅力に溢れたカメラだった。
少し気取った言い方になるけど、「自分や家族の人生を写すデジタルカメラは、これしかない」と直感した。2013年春に手に入れた。
家族を写真に残すということ
1年ほどまともに写真を撮らない間に、気がつけば娘は4歳になっていた。
「上手でなくてもいい。いいなと思った光景に素直にシャッターを向けよう」そう自分に言い聞かせながら、少しずつ写真と、そして日常と、距離を縮めていった。
「写真を撮るとは、どういうことか?」
コラム執筆を機に改めて考えてみたが、答えはやはり単純で、「目の前で起こる、ささやかな、でも大切な瞬間をとどめたい」ということに尽きるのかもしれない。ポッドキャストでともに話している古くからの友人は、「記録は、いずれ記憶に変わる」そう言っていた、同感だと思う。
それまでのわたしは、いい写真を撮ることに夢中で絵になるシーンや被写体を探しまわっていたけれど、家族と過ごす時間の中に小さくて静かなカメラを持ち込むようになり、写真についての考えが少し変わったように思う。
季節が巡り、夏から秋、そして冬へ。気がつけば、『X100S』は日常に欠かせない存在になっていた。どんな時も、どんな場所へもこのカメラをぶら下げて出かけた。
カタチに残すということ
『X100S』を手にし再び写真を撮るようになり、家族の思い出が増えた。そして、それをZineにもまとめるようになった。
「愛おしい」という言葉は、口に出すのも、こうして文字にするのも、どこか気恥ずかしい。だからこそ、私にとって写真は、その気持ちを静かに代弁してくれる手段なのかもしれない。
小さく控えめなボディ、カチャッとしずかに鳴くそのシャッター音。『X100S』の佇まいは、私の家族への眼差しにも似ている。
このカメラを手にした理由は、そういうことなのかもしれない。
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