私と写真と『X100Ⅵ』~キートン・福永 vol.3~
3台目のX100シリーズ
今回のコラム執筆の依頼をいただく少し前に、X100シリーズの最新機種『X100Ⅵ』を手に入れた。発売当時から話題で品薄が続き、予約から実に4ヶ月。ようやく、という思いだった。
X100シリーズは、偶数世代に“完成”を感じる。2代目のSで初代の粗削りが磨かれ、4代目のFで洗練の域に達し、そして6代目のVIでは、“撮る歓び”はそのままに、生み出される写真にはこれまでにない深みとクオリティが宿る。
それをじっくり味わいたくて、鹿児島への旅は『X100Ⅵ』のみで行くことにした。ちなみに、フィルムシミュレーションは新たに搭載された『REALA ACE』。銀塩時代に愛用したあの豊かな緑の発色が蘇るようで、この旅にぴったりだと感じた。
海の上から始める旅
大阪から鹿児島・志布志へ向かうフェリー『さんふらわあ さつま』。片道15時間という長い船旅に、この旅の魅力が詰まっていた。海に浮かぶ大きなホテル、その表現が似合うほど、8階建ての船には、見てまわる楽しみが溢れていた。
窓辺に腰かけ、刻々と表情を変える海を眺めたり、デッキに出て夕陽に染まる空を見上げたり。時間は、驚くほど穏やかに、そしてあっという間に流れていった。
窓の先に広がる水平線は、そのカタチを変えながら絵画のような景色を見せてくれる。明け方と夕暮れ、印象的な光の中で撮る写真は、ありふれたシーンをドラマチックに描く。『X100V』から新しくなったレンズは、その光をより正確に、より鮮明に描き出す。以前の滲むような柔らかい描写も好きだったけれど、このクリアさには、また違う美しさがあった。
ファインダー越しのまなざし
私たちは、旅の計画をあまり立てない。おいしいものを食べ、地元の人に教えてもらった場所へふらりと足を伸ばす。そんな風にして、気の向くままに旅をする。
写真も同じ。なにか目的があって撮るというより、ただ、目の前にある光景を見つめ、その一瞬に呼ばれるようにシャッターを切る。それが自然で、心地いい。
兄貴分の『X-Pro3』で撮る時のような肩に力が入る感じはなく、目の前の光景を掬い取るような感覚といえばいいのだろうか。X100シリーズには、他のカメラにはないそんな特別な魅力がある。
ファインダーを覗いて撮るのが私のスタイルだけれど、食事中の妻の姿を、背面液晶を立ち上げてローアングルで撮影してみた。可動式とは思えないほどフラットにデザインされていて、使うことは少ないだろうと思っていたけれど、この時ばかりは「これも、いいな」と素直に思えた。
旅先の風景と偶然の出会い
渓谷に行き、滝を眺める。豊かな自然にレンズを向けていると、黒と紫の美しい蝶がひらひらとフレームに飛び込んでくる。そんな偶然が美しい。
旅から戻って写真を見返すと、レンズの印象がはっきりと残っていた。薄皮を一枚剥いだような、透き通るような描写。まさに「瑞々しい」という言葉が似合う。
「本州最南端に岬があるらしい」と聞いて、行ってみることにした。見渡す限りの海。その雄大さを前に、「これは写しきれないな」と、数枚だけシャッターを切ってその場を後にした。
何気ない瞬間が、いつか記憶になる
夕食の席で、何気ない乾杯の一枚。テーブルの上の『X100Ⅵ』をひょいと片手で持ち上げて、パシャリ。昼間に眺めた大地の広がりも、乾杯のシーンも、どちらも同じくらい残しておきたい大切なもの。X100シリーズの設計思想ってこの感覚を大事にしているのではないかと思う。
料理を撮った写真を見て、このカメラのポテンシャルの高さに驚く。後日、友人に旅の写真を見せたら『もう、この一台でなんでも撮れるね。』と笑っていた。
写真、そしてカメラの原点
下船直前の朝、窓越しの光のなか、朝食を食べる妻にそっとレンズを向ける。絞りは開放。髪の毛一本一本まで描きながらも、背景は柔らかく溶けていく。その絶妙なコントラストを見つめ、「これがX100シリーズ最新モデルなんだ」と感じた。
写真に“上手”とか“技術”はもちろんある。ただ、この旅のあいだ、そんなことは一度も頭に浮かばなかった。
目の前の光景に見惚れ、そこにレンズを向けシャッターを切る。X100というカメラが富士フイルムXシリーズの原点であるように、それが写真の原点ではないだろうか。
富士フイルムという会社
少し話は変わるけど、このIRODORIの3回目のコラムの初稿を書き上げて、先方に送った。すると、少しして富士フイルムの担当者から、ゴーサインとともに、あまりメディアでは語られていない初代『X100』の開発秘話が届いた。
『X100』は、コンパクトデジタルカメラ事業の今後を問われる厳しい状況下で、「写真を撮る行為を真に愛することができる、富士フイルムにしか作れないカメラを世の中に出したい」というプロジェクトメンバーの情熱によって開発・生産されたという。折しも、発売直後に起こった東日本大震災という未曾有の危機の中で、被災しながらも生産ラインを立て直し、なんとか出荷に漕ぎ着けたというエピソードには胸を打たれた。
私にも、忘れられないエピソードがある。
20代の頃、写真学校の講師をしていたとき、富士フイルムの担当者がふらりと訪ねてきた。「上野です」その人はそう名乗ってから、「この写真、君が撮ったの?」と話しかけてきた。ちょうど、私はギャラリーに自分の写真を展示していた。「ローライかな?」と言うので「そうです、3.5F」、「レンズはどっち?」「プラナーです」ぶっきらぼうに答える私に、「3.5Fのコンパーシャッターは静かでいいよね、音がいい」と呟いた。
今風にいえば「ヤバい人だな」と思った。富士フイルムにこんな人がいるのかと驚いた。
「僕は、KLASSEの次モデルの開発に携わっててさ」というので、若気の至りで、「KLASSEのここがいい、ここはイマイチ、もっとこうして欲しい」とまくし立てた。この人なら分かってくれる、そう思ったから。上野さんは、苦笑いしながら、うんうんと聞いてくれた。
のちに『X100』が発売され、その商品企画に上野さんが関わっていたと知ったとき、「やっぱりな」と思った。写真への深い愛と、カメラへの強い熱意がなければ、あんなカメラは作れない。それからのXシリーズの展開は、皆さんご存知の通りだが、富士フイルムの多くの方々の情熱が、いくつもの“不可能”を可能にしてきたのだろう。
▲私が好きでよく見ている『富士フイルムXシリーズの開発者によるプロダクト解説X Lab』
おわりに
「カメラを一台だけ残すとしたら?」、写真好きなら一度は投げかけられる質問に、「やはり、X100かな」そう答えたことがあるが、その気持ちはいまも変わらない。
そんなカメラを作り続けてくれる富士フイルムというメーカーに、そしてこのようなかたちで想いを綴る機会をくださったすべての方に、心からの感謝を添えて、このコラムを締めくくりたい。
Photo is Life.
これからも、写真を撮っていきたい。
今回登場したカメラ
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