『X-T50と北イタリアと、あと旅日記と』(前編)〜ありあ vol.3〜
普段使っているカメラが、どれだけわたしの心情とか思想に影響を与えているかなんて、考えてもみませんでした。たしかにカメラがなければ写真は撮れませんし、カメラならなんでも良いわけではありません。それでもわたしにとって、カメラは写真を撮るための道具であるということが第一でありましたし、最終的にどんな写真が残るのか、それが一番重要だったのです。
ですから、先日北イタリアをひとり旅した時に書いた旅日記に、思っていた以上に『X-T50』というカメラのことを言及していたことに気づき、わたしは驚きました。小さい頃から書いてきた日記(あるいは旅日記)、つまりわたしにとってはまさにアイデンティティであって、心情であり、思想でもあった日記に、あくまでも道具であったカメラのことが、たくさん書かれていたからです。
さて、今回のコラムの内容を変更する必要がありそうです。元々は、北イタリアの素敵さを写真とともにご紹介しようかと思っていたのですが、北イタリアで書いた100ページ以上にわたる旅日記の中から、『X-T50』というカメラについて言及した文章を、抜粋して書きたいと思います。とはいっても、結果的に北イタリアという地の素敵さをお伝えすることのできるコラムに、なるかとは思いますが。
-2024.07.14 at P.za di Santa Maria Maggiore in Rome, Italy-
夜8時をまわったというのに、ここローマの暑さは弱まることを知らず、15時間ほどの飛行機移動を先ほど終えたわたしの疲労をさらに助長させるかのように、日の光もまだみえます。本当であれば、ローマに着いてから寝台特急に乗るまでの間、ローマテルミニ駅周辺を歩いて写真でも撮ろうかと思っていたのですが、疲れがその予定を邪魔し、結局、撮ることのできた写真はたったの3,4枚程度でした。しかしおそらく、3,4枚撮れただけでも、喜ばなければなりません。鉛のように重いバックパックではありましたが、首から下げていたカメラはとても軽く、片手で額の汗を拭っても、もう片方の手さえあれば、納得のいく写真を撮ることができたからです。
-2024.07.14 at Roma Termini in Rome, Italy-
乗る予定の寝台特急がまもなくホームに入線するという頃、わたしはというと、ローマテルミニ駅の2階を彷徨っていました。テイクアウトでなにか食べ物を買って、車窓からの景色に夜のイタリアを想い、寝台個室で食べようというのです。
故障したエスカレーターの脇に、ハンバーガー屋さんを見つけました。お店の雰囲気が、いつかみたハリウッド映画に出てくるそれのようで、映画のワンシーンを意識してシャッターを切ってみたら、撮った写真の色と雰囲気に感嘆してしまって。ハンバーガーを食べる予定はなかったのですが、いつの間にか注文を済ませているわたしがいました。チーズバーガーと、それからコーラと。こんな夜遅くにカロリーがって?それは仕方のないことです。わたしは悪くありません、注文することを決意した要因である素敵な写真を創造したこのカメラにあるでしょう。まったく、悪いやつです。
-2024.07.15 at Ponte degli Scalzi in Venezia, Italy-
自惚れているかもしれないけれど、間違いなく、5度目のヴェネチアはわたしを歓迎してくれているのだと思います。寝台特急がヴェネチア・サンタ・ルチア駅に定刻どおり到着したことも予想外でしたが、まさにいま日が出ようとせんばかりの頃に、カナルグランデを一望できるスカルツィ橋の真ん中に立つことができたのですから、寝台個室の硬いマットレスに文句を言っている場合ではありませんでした。
フィルムシミュレーションのダイヤルをカチカチ回しながら、わたしはこの日の出をどんなふうに記録として残したいのか、考えます。朝6時のヴェネチアはさすがに静かで、ゆっくり呼吸を整えながら、カメラの最適な設定を模索しつつ、1枚1枚、丁寧に。
-2024.07.15 at F.te Nova in Venezia, Italy-
前を歩くお父さんの背中が、とっても優しい。しかし彼は止まってはくれないし、わたしも歩かなくてはならないから、いまできることといえば、ファインダーを覗かずに、シャッターを切ることだけ。さて、写っているかな、優しい背中よ。
-2024.07.15 on the Mar Adriatico in Venezia, Italy-
旅はまだ始まったばかりだというのに、いましがた撮った写真よりも良いと思える写真を、果たして、今後の旅路で撮ることができるでしょうか。光に照らされたおじいちゃんの突き刺さるまなざしは、何処へ。もちろん、知るよしもありませんけれど。
-2024.07.15 at the Ferry terminal in Burano, Italy-
ブラーノ島に上陸したところで、わたしはひとりのお兄さんに話しかけられました。
「きみのカメラ、かっこいいね、僕のもかっこいいから見てよ」
イタリア語訛りの英語ではありましたが、たしかそんな感じだったと思います。旅の途中、カメラのことについて話しかけられることはそれほど珍しくはありません。それにわたしも話をしたい気分でしたから、船乗り場付近のベンチで、カメラの話、写真の話をしました。なにせ日本を旅立ってから、ほとんどわたしの口は動いていませんでしたから、それはもう、話すぎたと思います。日本語訛りの英語で、「このカメラのここの部分が可愛くて」とか「見てみてこの写真、美味しそうでしょ」とか。
-2024.07.15 at the street in Burano, Italy-
「あんた、前にもここに来たことあるだろう」パジャマ姿のおじいちゃんにそう話かけられた時は、本当にびっくりしました。たしかにブラーノ島を訪れるのはこれが初めてではありませんが、観光客の多いこの島で、わたしの顔を覚えているなんて。手探りでその理由を探ろうと試みましたが、思いのほか、すぐに分かりました。わたしが以前仲良くなったおばあちゃんの営むパン屋さんの、常連さんだったのです。
「すぐに分かったよ、あんなに楽しそうにカメラを構えている姿を、前にも見た覚えがあったんだ」
-2024.07.15 at the back alley in Burano, Italy-
ブラーノ島を含め、ヴェネチアの“ねこ”ときたら、どうしてこうも上品なのでしょうか。自身が水の都ヴェネチアで生きることを誇りに思っているような、「わたしはほかのねことは違うんだにゃ」と言いたげなその視線は、凛々しく、気品に溢れんばかりです。しかしでも、「お前さん、わたしのこと撮りたそうにゃ?ポーズとってあげるから、早く撮るんだにゃ」と言わんばかりのその態度は、ちょっと鼻につくかも。まあ、ちゃっかり撮っちゃうわたしも、わたしなのだけれども。
ひとまず、北イタリアひとり旅の日記はここまで。思い返すと、この時点でまだ2日しか経っていないのに、わたしったら、きちんと旅を満喫していますね。カメラとの関係性もまだ初々しさがあるころですが、さて。
7月15日午後からの旅日記は、コラムの後編で。ひとつのコラムにおさめようとしたのですが、たくさんの文字たちと写真たちが、そうさせてくれませんでした。後編でも色々なフィルムシミュレーションを使った写真をお見せしますから、どうか、お楽しみに。