旅写真と『X100F』~キートン・福永 vol.2~

暮らしのなかの光景を撮るということ
冬の朝、カーテン越しに光が差し込む瞬間、おもむろにカメラを構えシャッターを切った。
あれは、たしか4年ほど前。私生活が少し落ち着いて、写真の仕事も再開し、さあ、これからという矢先だった。
2020年、コロナ禍。
街から人の姿が消えて、写真を撮りに遠くへ出かけることが難しくなった。それならばと、毎日、首からカメラを下げて自宅の周りを歩いた。皮肉な話だけど、そのことで、日々の暮らしの中にも、残したくなるような美しい光景が溢れていることに気づいた。
伊勢へ―ふたりで写す時間
2021年のはじまり。
新しい日常に慣れはじめた頃、2度目の緊急事態宣言が出される直前、妻とふたり、お伊勢参りへ行くことにした。作品を撮るというより、妻と見る景色を写真に収めたい、そんな気持ちでクルマを南へ走らせた。こうしたちょっとした旅を、私たちは年に数回している。
途中、サービスエリアでホットコーヒーを買う。手には『X100F』。『X100S』に続いて、2台目に選んだX100シリーズのカメラだった。この頃には兄貴分の『X-Pro3』も持っていたけど、旅先のふとした一瞬には、『X100F』のサイズ感や描写がちょうどいい。
必然的に、シャッターを切る回数も多くなる。
伊勢神宮の境内は、とても静かで凛としていた。できるだけ目立たぬように、そっとカメラを構えて、一枚だけ、音を立てずにシャッターを切る。すでに人物写真の仕事もしていたので、撮影時には立ち位置やポーズをお願いすることも増えていたけど、夫婦の写真には、そうでなくてもいい。ただ、撮りたいなと思った光景に、自然とレンズを向けた。
振袖で初詣に向かう女性たち。彼女たちにとって、新たな1年はどのようなものになったのだろうか。「記録はいずれ、記憶に変わる」ーー前のコラムにも書いた友人の言葉を、ふと思い出す。
夫婦の旅と、写真の関係
お伊勢参りのあとは、近くの二見興玉神社へ。
夫婦岩を眺めて、ふたりの写真を撮る。ちょっと照れくさいけど、旅先で“縁結び”や“恋人の聖地”と聞けば、なんとなく寄ってしまう。
私たちにとって、旅は、ふたりの時間を見つめ直すための、ささやかなキッカケなのかもしれない。私たちは、写真を通じて出会い、こうして今も、写真を撮りに出かけている。もう20年近くになるけれど、たぶん、写真とカメラがあったからこその関係だと思う。
境界線のない旅と日常
旅の終わり、帰り道の一枚。
旅と日常、その境界線は曖昧で、どこからが旅で、どこまでが日常なのかは、意外とわからない。ただ、カメラを持つと、どこかへ出かけたくなる。移動することで、出会える光景がある。旅と写真の関係って、そういうものじゃないだろうか。
FUJIFILM『X100F』について
最後に、ほんの少しだけカメラの話を。『X100F』はX100シリーズ4代目のモデルだけど、初代X100から続く“写真を撮る歓び”は、このモデルでひとつの完成を迎えたと感じている。正確さとスピードを増したフォーカス、使いやすくなった十字キーとジョイスティック型のフォーカスレバー、よりクオリティの上がったボディデザイン。必要なところにだけ手を加え、大切な部分は触れずに残す。富士フイルムらしい進化のさせ方だなと思う。
最終回に向けて
次回でいよいよ最終回。
もう新しいモデルは出ないのでは――そう思っていたところに登場した『X100VI』とともに、“私と写真について”をテーマに綴りたいと思います。
どうぞ、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。
キートンこと、福永でした。
Profile
