旅を暮らしの延長線に──白樺の木はやわらかくて。 モロイ ユウダイvol.3
「空たっかいな〜。」
このお花畑に到着して初めに思ったことだった。
飛行機から外を眺めているときは雲の中にいることに興味を持っていかれて自分が高い空の中にいることを忘れてしまう。いつもCAさんが運んでくれる飲み物は絶対にスープを頼むと決めている。空の中でスープなんて提供されたらそれは自分が高い場所にいることなんて忘れてしまうだろう。
そういえば、海外で国内線に乗った際に水を頼んだことがある。水を飲みたくて、
「Can I get some water please.」
そう伝えただけなのにCAさんが大きく目を開きながら、驚いているような、疑問を持つような、とにかく印象に残るリアクションをしていた。少しの間の後に、「どうして飛行機の中で水なんて飲むのよ。ジュースとかアルコールもあるのに本当に水でいいの?」と聞き返してきた。そんなことを言われても、水を飲みたいから水を頼んだ。それ以外の返答はできず、結局なみなみに水を注いでくれて、少しプラスのサービスを受け取った気がする。
海外のスープが信用できなかった訳ではない。なんとなくその時は水を飲みたかっただけなのにこれほど記憶に残るエピソードが生まれるなんて思わなかった。ふと自分の記憶を振り返ってみたら、なんとなく2つのパターンがある気がした。記銘的か、偶発的か。記憶に残る体験はこのどちらかしかないのかもしれない。
今回の北海道旅行もそうだった。もっと広く見てみると、このコラム3本で綴ってきたことも偶発的な出来事から始まっているものばかりだ──。
どこまでも一直線で幅の広い道はあまりにもこの土地を感じさせる。
ここまで広大な場所にお弁当屋さんを建てるとするなら自分はどんな店にするのだろうか。きっと、必要以上に広い土地を選んでお弁当屋さんをメインにしつつ、隣のスペースで酪農や農業にも手を伸ばしながら自分だけの生活を1から構築していくだろうと頭に浮かんだ。お弁当の種類は地物で彩られた健康弁当になる気がする。そんなことを想像しつつ、僕たちは大きなお花畑に向かった。
滞在中の家からすぐ近くに、コーヒーを頼むと食パンとゆで卵が無料でついてくる、モーニングセットに気合いを入れるカフェがあり、旅行中の半分ほどの朝はそこで過ごしていた。
とある日、急に小さめの移動をしたくなった。旅行中は計画もなく突然どこかへ行きたくなる。バスや電車を乗り継ぐことは生活と旅行の両方を感じることができて好きだ。今日のカメラを手にして、いつも通り気合いの入ったモーニングを平らげて颯爽と駅へ向かった。
行き先は決めなかった。
とりあえず電車に乗って、聞いたことのない終点の駅で降りてみる。真駒内駅。読み方さえも分からない駅だった。駅周辺に目立った何かがあるわけではないが、バス停だけは広く、いくつかの観光地に向かうための経由地点のような場所だった。どこへ行こうか。少し悩んで最終地点を決めた。
20分ほどバスに揺られていた。窓から景色を眺めていたのだが、そこに、普通に、ごく当たり前のように綺麗な山々が連なっている。マップで調べても特に名前がある山のような感じはしない。それでこの美しさ。一体この土地はどうなっているんだ。言葉では表しづらい不思議な気持ちを抱えたままバスは目的地へ進んでいった。
そこは、森を歩きながらいくつかのモニュメントや建物に出会える場所だ。
空は高くて、森の音がする。上を見上げると、空は高いけど葉の揺れが視界に広がっていて、自分は白樺の木に囲まれていることに気づく。白樺の木を手で触れられる距離で見ることは初めてかもしれない。心なしか同じサイズの大きな木に比べると根本はとても細く見える。“白”という漢字が名前に入っている通り木は白く、ところどころに茶色や黒い斑点が見られる。
どうしてか、気がつくと白樺に触れていた。木なんだけど木じゃない。いや、めっちゃ木だ。そう思ったのも、想像していたよりもずっと柔らかかったから。色のせいなのか、本当に木の中で柔らかい樹種なのかは知らない。でも、明らかに柔らかく感じた。なんだか心に余裕があったせいか、普段よりも感覚や感情がひらいていたからなのか。
ここ最近、考えていたことがある。1回目のコラムでも触れたが、“想像”について。
想像することが出来ずに選べなかったことがいくつもある。その時々で選択されなかったものたちは想像することが出来ずに選ばれなかったが、もし想像することのできる条件が揃っていればそっちを選択していたのだろうか。それほどに、想像ができないということは未知の世界のように小さな怖さが付き纏っている。
想像するためには、すでに自分がその事象に伴う体験を持っていることが一つの条件だと思う。ただ、この条件である体験を得るためには想像の出来ないことをする以外に得ることはできない(知識は別だけど)。表裏一体すぎて、たまに頭がこんがらがる。
体験や知識が連なった結果、自分たちは何かを想像することができる。であれば小さな怖さが付き纏う選択をし続けないといけないのか。でも、それはあまりにも苦しい。であれば、自分から未知へ飛び込まなくても、偶発的に知らないものと出会える状態をつくっておけばいいと思う。たとえば、行き先を決めずにバスに乗ってみたり、とりあえず森を歩いてみたり。そんなことをしてみると「白樺の木って柔らかかったんだ」という偶発的なものに恐怖を感じることなく体験することができる。自分すら気が付かないところで、いつの間にか何かを選択できる幅が広がっていればこの上ない喜びだ。旅や旅行にはそういう要素が多くある。
もし、どこかで木にまつわる選択や課題に出くわしたら、恐怖を感じることなく白樺を選択することができる。とてもアツい。
また別の日、行列に並んでいた。美味しいと大人気のラーメンを食べるためだ。20分くらいは並びそうな待ち時間は退屈で特にやることがない。旅行中だからといって、待ち時間ですら特別なことを!なんて思うこともない。
改めて想像してみる。「もし、この土地でお弁当屋さんを開いたら」と。酪農や農業を考えていたけど、やっぱり白樺の木に囲まれたお弁当屋さんで健康弁当を売るか……。地物の食材はご近所さんに分けてもらった方がいいな。その方がお弁当を売ることに集中できるし。
今回登場したカメラ
今回登場したレンズ
Profile































